日本の携帯業界を、日本の中からみておもうこと
6月 28, 2009 | Filed Under 未分類
始めに結論を言ってしまうと、日本の携帯業界の事はすごく残念に思っている。
ちなみに僕は別にプログラマーでもないし、機械の設計をした事もない。
ただ、普通のコンシューマーかと言われればそうではないと思う。
それなりにプログラムの勉強もしていたし、Macを使ってものをつくり、お金も稼いでいる。
小規模のネットワークなら組めるし、家電製品の扱いも普通の人よりは得意だ。
ここでネガティブな事は言いたくないのだけれど、あまりにも我慢ならないので今回は書いてみようと思う。
いつからこうなったのだろうか
答えは明白。iPhoneが上陸してからだ。
僕はiPhoneを使い始めてから、日本の携帯業界が(大きく言えば日本の産業全体が)抱えている問題に「気がつかされた」
あるいはずっと気がついていた。ただそれは「そんなもん」だと思っていた。
でもそれは違った。
同じ感覚はMacを使うことでも感じていた。
Windowsをあんまりこき下ろすのは良くないとおもうけれど、あれは100円ショップで売っているガラクタに近い。
もちろん、言い過ぎなのは解っている。あくまで感覚として、だ。
やれ「危険にさらされています」だの「Yes or No?」だの。
どうでもいい情報をいちいち表示するし、ファイルをコピーするだけなのに妙なアニメをでかでかと表示するしで、嫌な点をあげれば切りがない。
一言で言えば道具として完成していないと思う。
道具は主張せず、目的の遂行のために忠実に使い手をサポートするべきだ。
それが足りない。というか感じられない。
その事は配色だけをとってみても解る。
なぜあんなに刺激の強い色をウインドウに使うのか?
なぜこの部分を透明にするのか?
なぜこんなにディテールを足しすぎるのか?
それら全てはユーザーの邪魔をしているように思える。
でもこれが世界中のパソコンにインストールされている。
パソコンといえばWindowsだ。
つまり、パソコンと言えば「こんなもん」なのだ。
そしてこの構図がそのまま携帯業界にも当てはまる。
日本の携帯電話
僕が最初の携帯電話を手にしたのはおよそ10年前。
IDOのカシオ製端末を使っていた。防水機能が売りで、織田裕二がCMに出ていた。
よくできた端末だった。
特徴的な防水機能はきちんと動作していたし、バックライトもオレンジで格好よかった。
その後、IDOはauになり携帯もどんどん「進化」していった。
液晶がカラーになったり、動画が見られるようになったりした。
メーカーは最も薄く軽い端末を躍起になって作っているように感じられた。
折りたたみが流行れば、ストレート型はなくなった。
テカテカしたデザインが流行れば、全部テカテカした。
もはや間違い探しだ、とおもった。
どうでもいい進化をはじめた携帯の中でも、auがやっていたDESIGN Projectは独創的だった。
しかしその優れたプロダクトたちも長いスパンでは販売されなかった。
端末のGPS情報をもとに、グラフィックが変わる素敵な壁紙を配信していたはずなのに、いつの間にか変な写真を配信し始め、最後は締めの言葉もなくフェードアウトした。
そして興味がなくなった。
日本の携帯はあくまで「使い捨て」なんだと思う。
使い込めば使い込むほど愛着が湧く「道具」ではない。
表向きは環境を意識したとか、太陽光発電できますとか、エコだとか言ってるけど、実態はかけ離れたところにある。
おそらく。
なにが問題か
文才がないので脱線気味だが、つまり言いたい事はこういうことだ。
日本の携帯は、ユーザーに「こんなもん」だと思われてしまったことが問題なのだ。
これは非常にまずい。
売り手はワンセグやらカメラ機能やらおサイフやら….思いつく限りの性能を盛り込んでいる。
でもユーザーは「こんなもん」だからどれでもいいと思っている。
今どき携帯を買って感動するのは、初めて携帯を持った学生ぐらいだ。
その他のユーザーも2,3日、長くても1ヶ月で飽きるだろう。
この「感動」が決定的に足りない。
カメラが1000万画素になったって、ワンセグのコマ数が倍に補間されたって「感動」はしない。
なにかワクワクするような、自分の期待を良い意味で裏切られた時のような感動がない。
いままで映画の世界でしか見られなかった事が、目の前で実現したような驚きが。
しかしそれがiPhoneにはあった。
決定的な違い
iPhoneのすごさは「感動と驚き」にある。
まるでディズニー映画やよくできたハリウッド映画のように、すばらしい演出。
アプリケーションが起動するときに、アイコンが画面の外に消し飛ぶ。
設定パネルを開くときは、機械の内部を見るように画面が裏返る。
リストを指ではじくとスラスラとスクロールし、終わりでは少しバウンドしてみせる。
これらはアニメーション的にいっても高度で、すばらしい演出だ。
それだけではない。様々な驚きがある。
まさかタッチパネルがこんなに正確な反応を検知できるとは思わなかった。
こんなに狭い画面でスムーズに動画編集ができるとは、しかもその場でYoutubeにアップできるとは思わなかった。
まさかネットラジオがどこでも聞ける時代がくるとは思わなかった。
未読のRSSがなくなる日が来るとは思わなかった。
本格的な音楽製作がこんなに小さな端末でできるようになるとは思わなかった。
デスクトップPCを携帯からスムーズに遠隔操作できるとは思わなかった。
ほかにもいくらでも出てくる。
感動と驚きが満ちている。
でも、感動と驚きだけではない。
圧倒的な進化
「そんなの元々携帯サービスがありましたよ」という意見を良く聞く。
たしかにそれはすごい事だ。
最初に何かをやるのは大変なことだとは思う。
でもその進化が足りなければ、ただの「変わった機能」にすぎない。
新しいサービスは、使いやすくなければならない。
代表的なのは地図閲覧だと思う。
日本の携帯にもそんな機能があった。
便利だと思っていたけれど、いまは触りたくもない。
遅いし、見づらい。
googleマップをそのまま持ち歩いている感覚のiPhoneと比べたら比較にならない。
もう一つはweb閲覧機能だ。
これも元々あった。だが見れたもんじゃない。
遅いし、画面は狭いし、乱れる。虫眼鏡で広い机を見ているみたいで、訳が分からない。
iPhoneは画面が狭くても見たい部分に簡単にズームし、表示できる。
瞬時に全体表示に戻れる。
これも比較にならない。
しかし、これでもiPhoneのすごさは伝えきれない。
進化しつづける
このような驚きをもったソフトウェアが毎日リリースされている。
また、Apple自身もデバッグだけでなく新機能を盛り込んだOSをリリースする。
これはコンピュータの世界でおこっていた事だ。これが携帯端末でおこっている。
いままでこんな携帯はあっただろうか?
もちろんなかった。
それに比べて日本の携帯はどうだろう。
さらなる問題と解決
もう一つ、大きな問題がある。
それは携帯は「こんなもん」だと思っているユーザーは、進化を求めていないが故に、満足しているということだ。
顧客満足度が高いとかそういう事ではなくて、もはや進化を望んでいないということ。
それは発展の終わりを意味する。市場の鈍化ともいえるかもしれない。
悪い意味でユーザーを「満足」させ、ユーザーに「夢」を与え続けなかった日本は、自ら発展の道筋を絶ってしまったのだ。
だが、この問題を断ち切る事のできるすばらしい端末が発売される。
というか既にある。
それはiPhoneだ。
日本はこの端末が再び市場を破壊し、デフォルトのレベルを引き上げるとき、勢いをもってその波に乗るべきだと思う。
iPhoneの足を引っ張っている場合ではない。
iPhoneから学び、少なくともそれと同程度のものを創らなければならない。
それが間に合わなければ、iPodで駆逐されたときと同じ現象が起きると思う。
日本の検討を祈る。
駄文失礼しました。
Comments
3 Responses to “日本の携帯業界を、日本の中からみておもうこと”
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携帯電話のデザインについて、プロダクトデザインとしての観点で書かれた記事を昔読んだのを思い出しました。
それは、”自動車と同じ、買い替えてもらわないと困るから、捨てられるデザインをしている。” という何とも残念なものでした。
(学生の頃、DDIポケットのデータカードでネットしてた時の記憶なので、今更ググっても出てきませんでした。)
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